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Macはただのパソコンではない。
Macを持つということ。「他の人と同じでいいや」と流されず、イイモノを自分の目で見極めて選択するライフスタイルだ。Macを所有するということは、自分はそういう生き方の人間だというステートメントでもある。
そんな言葉と出合って、意を新たにする。いうまでもなく世の中の標準はいまも昔も Windows であることに異論を挟む余地はない。しかしそれは格段に Windows が優れているからでないことも熟知している。さまざまな要因を加味すると「標準」として採用することが「妥当」だったわけだ。
ぼくも Mac が世界標準になるなんてことはありえないと思っている。またそうなっては欲しくないという想いもある。それはたとえば自動車マニアが自分の愛するアルファロメオがトヨタみたいに世界標準的シェアを持つようになって欲しくないと願うのと同じことだと思う。
そういう意味において、Mac は「趣味性が高いパーソナルコンピュータ」であるといえるかも知れない。だからいまやぼくはひとに相談されても基本的に Windows を勧めている、そのひとに格段の趣味性や嗜好性が無い限りは。
そうだ、Mac は言うまでもなく「ブランド」なのだ、それも米国が世界に誇る「ビッグ・ブランド」なのだ。冒頭に引用した文章の言うとおり、Mac を使い続けると言うことは自分の生き方を現すステートメントなのだ。
日本的に言うならこういうことになるかも知れない。「私は寄らば大樹の陰という生き方を良しとしない」。みんながそうだから自分もそうするという判断基準を信用しない。グローバルスタンダードという言葉をうさんくさいプロパガンダだと見抜いている。自分の経験と見識でヒトやモノやコトを判断し選択する。そいういうことだ。
どんなコンピュータを使おうと、どのOSを選択しようとそれは使うひとの自由であり、どんなアプリケーションが気に入ろうとそれは個人の自由だ。ひとそれぞれに自分にとって心地よいモノを使えばよいのだ。だからぼく自身 Windows に不満もないしそれを気に入って使っているひとに Mac の方がいいよなんて言うつもりも全然無い。ぼくだって Windows の方が妥当な場面では Windows を選ぶもの。
ただ何でぼくがあえて「マイナーな Mac 」を使っているのかについて書いているだけなのだ。実用的には3ヶ月起動しっぱなしでも一度もフリーズやクラッシュを経験することのない Mac OS X の優位性を声高に訴えるつもりもない。それはぼくが誰にでも Land Rover が心地よい車だとは思っていないことと同じことだ。
かつては Mac ユーザーと言うだけで、「あいつは電波が来ている」とか「変わり者だ」とかいわれたようだけれど、1994年以来(それ以前は MS DOS )のユーザーとして感じることは、ものごとをいつでも実際的に考えるひとには Windows がベストだと言うこと。そしていささか浮世離れしているというか、よく言えば、あるいは本当に「アーティスティックなひと」には Mac がベストだと言うことだ。
もっともぼくの場合はアーティスティックと言うよりは「夢見るひと」とか「妄想癖のあるひと」といったほうが近いかも知れないけれど。(^^ゞ
そんなぼくも、お客様の95%以上が Windows ユーザーということもあるので、来年あたり Windows もネイティブで起動できる最新型 Mac を導入予定だ。Windows XP 以降ならインターフェイスが「Mac にとても良く似ている」ので特に勉強しなくても使えるから。Windows にも確かにさまざまな良いところがあることはぼくも認めているしね。
ということで、ぼくは Mac ユーザーですが「電波」は来ていない、たぶん。(笑)
※今日掲載した Power Mac G5 の2枚の写真の著作権は Apple Inc. にあります。
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