雨 気温:最低 7℃/最高 9℃
ここ一週間ほど結果的に完全な徹夜状況が続いてしまった。きょうも床についたのはお昼近くだった。床につくとすぐに真っ暗な虚無がやってきた。光もなく夢もない完璧な無。その感覚が僕には心地よかったりもする。
それにしてもこの冷え込みは本格的な秋がやってきたことを実感させる。今日は10月1日だった。暑さ寒さも彼岸までというけど、じつにその通りの季節感が蓼科の特徴でもある。森や山がこれまでの緑から黄色に変わりやがて赤が支配的な風景に変わる季節だ。
朝晩の冷え込みがきつくなり、柔らかな日差しと凛とした大気がものの輪郭をはっきりとさせる。肌触りの柔らかな風があらゆる音の角をまるめてしまう。秋の音はだからとてもソフト・トーンなのだ。クラシック音楽やジャズなどのアコースティックな音楽を聴くには最適だ。
今日も昨日からの雨が降り続いた。終日の雨それも二日連続というのは珍しい。しかもその降り方はかなり強いものだった。前にも書いたけど、今年の樹木は全体的にまだ水分を十分保っているので、木の葉を打つ音もからからという秋の音にはなっていない。
しかし、紅葉はいつも通りのスケジュールで進んでいる。今年はしっとりと落ち着いたたたずまいの紅葉景色が見られると思う。いつもの紅葉はもっと葉が乾いていて、感動するまもなくはらはらと散り始める。
秋という季節はいろんなことを思い出させたり、考えさせたりする不思議な季節だ。少なくとも僕にとってはそのような季節なのだ。一言で言ってしまえば「センチメンタル」になるということかもしれない。そんな不思議な力が「蓼科の秋」にはある。
いま聴いているのはマイルス・デイヴィスの名盤中の名盤「カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)」だ。このアルバムと出会ったのは遙か数十年前のことだ。聞き込めば聞き込むほどその魅力にのめり込んでしまう音楽がいっぱい詰まっている。ジャズというジャンルを超えた「音楽」として、僕をとらえて放さない完成度と魅力がある。
昨年の秋から今年の秋へと季節は一巡りしたわけだけれど、その間に僕という存在もかなり劇的に変化したように感じる。自分で言うのも変だけど、こうして文章を書いているとそのことがよくわかるのだ。うん、センチメンタルでなくなったのだ、一言で言ってしまえば。
本来の自分が「叙情的」ではないということを知ってとても驚いている。
まあ、知らなかったのは僕だけなのかもしれないけどね。
僕がどのような人間かと言うことは僕が決めることではない。それは、僕以外の誰かが、あるいは僕以外のみんなが決めることだ。そのことに興味はない。ただ、自分が自分という存在に対して感じるある種の感触については興味がある。だって、僕だって生身で生きている人間なのだから。
これから少しずつ、自分という存在の感触を確かめていきたいと思う。
こんなことは思春期、青年期にはできないことだからね。
秋深まる蓼科の寒山より。
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